コンドラチェンコ少将の石碑

少し脱線してましたが続けます。もう4年前のことなんだね。 S0101120.JPG 東鶏冠山北堡塁ロシア軍宿舎の近くに敵将コンドラチェンコ戦死の場所という石碑がありました。日露戦争後の1905年から太平洋戦争終結の1945年まで朝鮮半島と、この遼東半島、大連までは日本の本土と同じような扱いを受けていたことから観光地として整備されていた様子。 Kondratenko.jpg ロマン・コンドラチェンコ帝政ロシア軍少将。ウクライナ人。実質、旅順要塞司令官でスミルノフ中将の部下。旅順要塞の指揮官はステッセリ中将だったが要塞建築の権限を一任されたことでより堅実な防衛陣地を作ることができた。要塞建築のプロ。 色白長身の美男子でステッセリの夫人にいたく気に入られ、ステッセリからは二人だけにしないように幕僚に注意勧告したとのこと。独断専行の傾向があるが、勇敢にも自ら前線で陣頭指揮をとり、部下からも慕われていた。 二百三高地が日本軍に落ちた1905年12月5日の後も日本軍の砲撃に苦しむ旅順湾の将兵を励まし続けたという。そして12月15日、東鶏冠山北堡塁宿舎にて将兵に勲章の進呈をしていた時に日本軍の二十八センチ砲の直撃を受けて戦死。コンドラチェンコの居場所は中国人スパイの情報によるものだというガイドの説明もあったが諸説あり。 800px-Anatoly-stessel.jpg アナトーリイ・ステッセリ。水市営で乃木将軍と降伏会見をした帝政ロシア中将。旅順要塞司令官であるが、満州軍総司令官クロパトキン大将から任命された後任のスミルノフ中将に地位を明け渡さず、新設されるロシア関東軍の司令官に就任。結果的にスミルノフに司令官の地位を明け渡す。規律に厳しい官僚タイプ。プライドが高く縄張り意識が強い、スミルノフとの確執から命令の無視、決断力に乏しいが予備兵力1万人弾薬食糧も十分な旅順戦力を残して徹底抗戦を唱えていたスミルノフ中将と対立して独断で降伏会見を行った。戦力を4分の1にしてコンドラチェンコの戦死に残存兵力の疲労と士気の低さに降伏の考えは妥当という判断もある。 降伏会見では乃木将軍の息子二人の戦死には哀悼の意を示し、騎士道精神に則った行動は称賛されている。 Smirnov_K_N-1.jpg コンスタンティン・スミルノフ。ステッセリの後任で旅順要塞司令官、中将。ステッセリとの派閥争いで混乱したが、二百三高地日本軍占領後も残存兵力で徹底抗戦を唱え、戦後はステッセリとその部下アレクサンドル・フォークの職務怠慢で非難する発表をするも、フォークから決闘を申し込まれ腹部を負傷。 ロシア軍も派閥争いからあまりいい印象がない。 S0101112.JPG S0101113.JPG S0101115.JPG S0101116.JPG S0101118.JPG S0101119.JPG S0101122.JPG

『JOKER』19年/米

「俺の人生は悲劇だ。いや違う。これは喜劇だ。」

「主観で物事を言うな!俺は狂ってはいない!」

言わずと知れたこの年、この秋の話題作。アメリカン・コミックスの『バットマン』の敵役キャラであるジョーカーにスピンオフした本作。コミックの原作から『悪の根源とはなにか?』に強く追及する社会へ問題提起する映画に仕立てた。フィクションではあるが、どこか真実味があり、どこかでこんな犯罪者がでてくるかもしれないとそう感じる。ヴェネチア映画金獅子賞でも勿体ない。世界的な問題作になるのは間違いないと思う。

ジョーカーというとティム・バートン監督の『バットマン』、ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーのイメージが強い私。ピエロの恰好でいつも高ら笑い、残虐非道。不気味に笑わそうとしている恐怖の存在であるジョーカー。ただバットマンに顔を焼かれ怒り狂い、バットマンに復讐する男ではない。

病弱な母親を看病しながら暮らし、コメディアンに憧れ、ピエロに扮して広告代をもらう仕事をする脳の疾患で突然笑いだす奇病をもつ孤高の男、アーサー。しかし、仕事の失敗から次々と不幸に苛まれ、次第にゴッサムシティの富裕層へと敵意をむき出すようになる。

アーサーの母親との関係や、ふと出会う人への愛は感じるのだが、それが憎しみへと変わるプロセスが、この世に蔓延る嫌な部分として浮き出てくる。

愛も減ったくれもない、ひねくれたものになるアーサー。金持ちが影響力ある社会に、偏見と蔑まれる存在のピエロ、ジョーカーに変貌し反発する。アメリカの貧富の差と社会福祉の軽視、銃社会、色々感じさせる映画でした。何回か見ないといけない。

映画の中でチャップリンのモダン・タイムスを観てるシーンが出てくるが、この映画の主題歌でもある『スマイル』では、「希望を持て」というメッセージがあるのに絶望からキレてタガが外れたジョーカーが踊り狂う映像にミスマッチながら強い印象を受ける。

バットマンが登場した時代(1939年)は主人公が金持ちでバックヤードが整った完全無欠な男が悪党どもを裁くという勧善懲悪なことが受けたかもしれないが、最近では貧富の差が激しすぎて、バットマンに感情移入するには、強盗に襲われて両親ともに殺された孤高のヒーローでは賄えなくなってきてしまっているな。どちらかというと貧乏で失うものなど何もない犯罪者の方が、みるものに共感を得るには十分ではある。アーサーと似た境遇な人は多いと思う。金持ちが犯罪者を裁く?バットマンは金で犯罪者を裁いてるだけだよ。

ロバート・デ・ニーロが脇役で出てるのがすごいが、何と言ってもホアキン・フェニックスの圧倒的演技だよ。彼の演じる不器用でもろい精神状態の男が悪党であるジョーカーを演じきった。

社会的に抑圧された人たちが多いのも事実だが、映画はそれに対して怒りを爆発させた映画だものだから上映を控えたいのもわからないでもない。衝動的に犯罪に走ってしまう人もいそうだろう。

so-netブログのドメイン変更

日記すらまったく書かなくなりましたね~。

ブログは暇なときでも放置状態でした。

今年9月にso-netブログのドメイン変更でSSブログに移行よろしくとso-netからお知らせがありました。10月開始、12月15日までにSSブログID取得なので早めにやってしまいました。

アドレスも若干変わりますがso-netのアドレスのままでもジャンプするようです。現在のページに新しく登録よろしくお願いします。

仕事は忙しい時期がありましたが現在また安定してきました。今年はどういうわけか買い物が多い!元気にしています。

旅行記を終わらさなければいけない。

日露戦争、旅順攻囲戦 古写真 その2

閲覧注意。このページには遺体写真が載っています。 0_e6a93_97859a59_XXXL.jpg 1904年冬。二百三高地に日本軍の砲撃が着弾。 35008_900.jpg 日本軍側から二百三高地36896_900.jpg 二十八センチ砲を発射。旅順攻囲戦には18門が投入され延べ16,940発を発射。弾速は遅く、発射された弾丸が肉眼で見えた。不発も多かった様子。 russo-japanese-war-04.jpg 二百三高地の中腹で。同朋の死に祈りを捧げるロシア兵。 0f6622ded8a5.jpg 旅順港では戦没者の遺体収容が進む。ロシア軍の鉄壁の要塞都市も連日連夜の砲撃には疲弊しきっていた。 84be345df52b.jpg 109841-2e8f265afad8996f8177dae04d93f7b3_jpg_pagespeed_ce_Lo8mWvrYmW.jpg b51a01ef180c.gif J2wdy5fiZzE.jpg 221219-f381700f399b7814266162c4769795dd_jpg_pagespeed_ce_IgutX4InFN.jpg 109892-e5056b4a1a0ed01ad4390fd921519774.jpg 221223-c58150dfa750dbf1ee17792a4f206ae6_jpg_pagespeed_ce_HeYJSH9CEO.jpg 221224-b7be121e72fbfbe61aa732b3643c1560_jpg_pagespeed_ce_bboiZZo-L-.jpg 221225-cc745622a28c431dc4354df076dbb936_jpg_pagespeed_ce_CJCo2xgrqA.jpg 221227-fe5bf1d4f96f53435791d57475b4d2a5_jpg_pagespeed_ce_WwOka10cas.jpg 221230-f6e3b0ed1ca95a2d13e84425f86f5d71_jpg_pagespeed_ce_-62-bV5Q0Z.jpg ba46fda95b6c.jpg 3e0eb1051346.jpg 負傷者は自転車と担架を繋げて運ぶ。 221217-85e81cbece161256cd3cfac7c0928896.jpg 221216-bebe5e8ad2f65ea346ceaadc680d8522.jpg 221218-2ac0fd1fe21643e08315cd2e6ffd9136.jpg 中国人労働者を使って負傷者を運ぶ。 221214-b392a7e4c7f4fb36d25c93edc50f0e4e.jpg 109939-9066ca6bb911304cf445310e29ddef9d.jpg 109847-e289ed634c236a9dc64253a492fc705c_jpg_pagespeed_ce_4ontY0wjap.jpg 78a8a5af8e2e.jpg

『ブラック・クランズマン』(米・18年)

「白人のアメリカ万歳!」

原題は『BlacK k Klansman』でそのままなのだが「Klansman」はクー・クラックス・クラン団員のことを差し、黒人警察官が白人警察官とのコンビでKKKへの潜入捜査を描く。タイトルのBlackとの間にKが入るとkkkが並ぶという凝ったもの。実話が元というからすごい。

監督のスパイク・リーは黒人。黒人社会の風刺や差別を描くメッセージ性の強い作風で『ブラック・ムービー』と呼ばれる黒人映画(ハッピーエンドは少ない。)の第一人者でもある。とても暗い内容なのだが、この作品は現在も続くKKKの存在を痛烈に告発している。シニカルな一場面は多数ある。

ストーリーにやはり引き込まれるので見ていて飽きないし集中して観れる。KKKとの対立組織にブラック・パンサーがあるのだが、主人公の黒人捜査官はブラック・パンサーの女性会長と知り合うし、パートナーの白人警官はユダヤ人(宗教色は強くないが、差別意識はない。)で白人優位主義者としてふるまう。面白い作品。現代にも続く「アメリカ・ファースト」って何か?をテーマに今でも白人がアメリカの優位な地位にいるのはなぜか?というメッセージがある。

KKKは今でも活動してるし、団体は非暴力を主張してるけど、本当の活動は過激だという告発がされている。

『翔んで埼玉』(19年・東宝)

「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」 公式ホームページ http://www.tondesaitama.com/ 魔夜峰央の原作漫画の映画化にしておバカ路線を一直線! 関東、武蔵の国から東京が分離独立し、残った所が埼玉県。東京から外れた地方都市の田舎自慢都会度数を競い合う地方差別から、関東全域の県民差別を自虐的に扱いながら高らかに痛快に埼玉県を皮肉る。埼玉だけでなく、千葉、栃木、茨城、群馬と田舎者とバカにされている。時代背景は90年代くらいで少し懐かしい雰囲気もする。 GACKT二階堂ふみ京本政樹伊勢谷友介と脇役も豪華。魔夜峰央先生も登場するぞ!

日露戦争、旅順攻囲戦 古写真 その1

ブログ放置して申し訳ありません。仕事が多忙で中々更新できませんでした。 ロシア軍からみた日露戦争の写真を色々集めておりました。主に旅順港あたりの古写真です。著作権的に大丈夫かな? 正確な時期や場所などはわかりませんが、独自の解釈と推理から古写真の解説とキャプションをつけていきます。資料の参考にはしないでください。 0_e6a6d_51b4a1f3_XXXL.jpg 1904年12月、旅順港周辺は日本軍に包囲されて、帝政ロシア軍は強固な陣地を構築していたが、長期に渡る攻防戦により、両軍疲弊していた。ロシア軍は塹壕を掘って前線を維持。日本軍の砲撃が近くに着弾。 0_e6a8b_9a8ac8be_XXXL.jpg ロシア軍は日本軍の総攻撃に備えて前線の塹壕に張り付く。時たま来る砲撃には壕に隠れるしかない。食事の風景。 0_e6a6b_40bfbb8c_XXXL.jpg ロシア軍の大砲。旅順港外側に向いていたのに陸側に向けるようになった。よく見ると砲身は丸太。壊れたのか偽装している。 0_e6a62_14a9fba9_XXXL.jpg 塹壕から顔を出すと狙われるのであまり高い姿勢はできない。 109896-d18c63ace5f835c9b8e6bb06788455ee.jpg ロシア軍の大砲。形は日本軍の二十八センチ砲そっくりだが、少し砲の規格が小さい榴弾砲。 それもそのはず、二十八センチ砲もドイツのクルップ社製の砲を国産化したのに始まり、 ロシア軍もこのクルップ社製砲を輸入して配備していた。 旅順港攻略戦で名をはせた二十八センチ砲は不発も多く、陣地に着弾した砲弾をロシア軍が回収して打ち返したという話もある。 5d1a19d33766325dcc06203d04a78b12.jpg 109898-01a036ff58357bb1b471f4f73efaebc1.jpg 大砲の横でサモワール(ロシア独特の湯沸かし器)を沸かす。 0_e6a99_a4100253_XXXL.jpg 0_e6aa9_c0b852e4_XXXL.jpg 0_e6aae_d6f0a5ce_XXXL.jpg 0_e6a90_1b363be7_XXXL.jpg 0_e6a70_efd06913_XXXL.jpg 写真奥にあるのが東鶏冠山北堡塁の兵舎だと思われる。 憶測だが望台から撮った写真。 109890-9b927f93c65ddc0dc8c727b123122896.jpg 日本軍の動向を監視中。 109891-f84bbbc72257b84a739503e206280859.jpg 日本軍は総攻撃の準備に近くまで塹壕を掘り進んでいた。時たま顔を出す日本兵に狙撃をする兵士。 109936-5be4a2f44dab62fbdc6fecffa215cc2a.jpg 0_e6aa7_ed5fed92_XXXL.jpg 前線維持の為に防衛陣地に派遣される兵隊。 109894-227df2473466dddb9ff124431e45c8e5.jpg 109889-c3805fd0a07dba9afffc3237ccec0dfc.jpg 109897-3c1ba9cd3e56be2857723d9a251a6d08.jpg

旅順:東鶏冠山北堡塁跡 その3

すこし時間を空けてしまいすみません。 大連、旅順、東鶏冠山、北堡塁跡の続きです。 S0101092.JPG 東鶏冠山を受け持った第11師団の攻撃時系列。 1904年8月19日~24日、第一回総攻撃、外壕発見。外壕に躍り込んだ隊は全員死亡。 10月30日~31日、第二回総攻撃。第22連隊(愛媛の部隊)、一角を占領も壊滅。坑道作業に転換。 11月26日、第三回攻撃、胸塔二カ所を爆破。第22連隊が突入も白兵戦で多くの犠牲を出す。占領地の維持ができなかった。 12月10日、総攻撃開始。 12月15日、勲章授与の為に兵舎を訪れていたコンドラチェンコ少将が砲撃で戦死。中にいた中国人スパイの情報だった。 12月18日、胸壁に仕掛けた2トンの爆薬を爆破。胸壁は崩壊。ロシア軍は僅か守備兵150名だったが勇敢に反撃。第11師団は戦死151名、負傷699名もの損害を受け激戦の末夜半に占領した。ロシア側は150名中92名が戦死するという玉砕に近い抵抗だった。 S0101093.JPG S0101094.JPG S0101095.JPG S0101096.JPG 記念写真用の機関銃。 S0101099.JPG S0101100.JPG ロシア軍の大砲、実物大?の模型。よく似た大砲でM1877 107mmカノン砲がある。 S0101101.JPG S0101102.JPG S0101103.JPG S0101104.JPG ここから東鶏冠山北堡塁の兵舎の画像。 兵舎は厚いべトン(ドイツ語でコンクリート)で覆われて200人規模の人員を守ることができた。しかしながらここ以外にも前線はあるし、日本軍の夜襲もあるし、全員がここには入れず、露天の塹壕か小さな詰所で寝泊まりしていたことと思う。二階立てて中間に板が貼ってあったという。 S0101105.JPG S0101107.JPG S0101108.JPG S0101109.JPG S0101110.JPG

旅順:東鶏冠山北堡塁跡 その2

東鶏冠山堡塁攻略を任されたのは第2軍から第3軍に編入された第11師団。香川県善通寺に司令部を持つ四国の師団だった。 800px-Map_of_the_Encirclement_of_Port_Arthur.jpgwikipediaより画像。 S0101073.JPG 外側にあった日本軍の爆破口跡。 第一回総攻撃(1904年8月19日~24日)8月18日深夜から二日間の砲撃で東鶏冠山を含め、ロシア軍の各所堡塁は日本軍から大損害を被る。21日より総攻撃を開始するが北堡塁の外壕を発見したのがこの直前のこと。日本軍は北堡塁が二重構造であったことに気づいていなかった。 S0101074.JPG S0101075.JPG S0101077.JPG S0101078.JPG S0101079.JPG S0101080.JPG S0101081.JPG S0101082.JPG 第一回総攻撃直前に外壕があることがわかった日本軍だが、内部構造まではわかっていなかった。突撃隊は上からの攻撃を受けながら2階から落ちたようにこの外壕に落ちた。その高さ4mはあるだろう。足を骨折するかそのまま死んだ兵隊も多かったことと思う。しかしその後は外壕の内側から、上からも攻撃をされてでロシア軍は第一回、第二回と総攻撃を防衛する。東鶏冠山北堡塁だけで8000人の死者を出した。 S0101083.JPG S0101084.JPG ロシア軍の鉄壁の堡塁を築いたコンクリートだが、実際は鉄筋コンクリートの技術はまだこの当時なく、旅順の海岸の砂利や泥土をコンクリートと混ぜて作っただけの脆いつくり。建設は中国人労働者を無賃で強制労働させて作らせたとのこと。 S0101085.JPG S0101088.JPG S0101089.JPG S0101090.JPG 写真家によって(どこの国の人かメモを忘れた。)最近になって偶然発見されたという女性の横顔。日本軍の地下坑道爆破の瓦礫と偶然が重なってできた。 S0101091.JPG

旅順:東鶏冠山北堡塁跡 その1

大連のホテルで一泊、この日が旅行最後になりました。 ここから旅順:東鶏冠山北堡塁(ひがしけいかんざんきたほうるい)跡へ。日露戦争、旅順攻略の激戦地です。 S0101048.JPG S0101049.JPG S0101052.JPG S0101053.JPG S0101054.JPG S0101055.JPG S0101056.JPG ここから駐車場。日露両軍のつわものどもが夢のあと。114年前のできごと。 S0101057.JPG 駐車場にあった露店のお土産屋さん。ここにはロシア人も中国人も観光に来ないのでもっぱら日本人しか来ないらしい。 ここからロシアのWEBサイトから無断掲載発見した日露戦争当時の写真を交互に載せていきます。ロシア語検索で色々見つかった画像の中から東鶏冠山、二百三高地と、ひとくくりに旅順攻囲戦「Порт-Артура」(二百三高地が英語で「Port Arther」)と表記されているので正確にはどこがどこなのかわかりません。 狭い地域に帝政ロシア軍守備隊5万。乃木将軍率いる第三軍5万が4か月に渡って死闘を繰り広げた。 00b659ad79af.jpg 向こうに見える特徴的な三つの山系。旅順攻囲戦初期かと推測。 109901-bfa9004dc372b871d1f1e3f9cf3440b6.jpg S0101058.JPG 公園入口。日本軍陣地側から歩きます。 S0101059.JPG S0101060.JPG 東鶏冠山は旅順要塞の中でも三大永久要塞と謳われた。周囲は敵の砲撃に屈しない厚いコンクリートで覆われ、外側の隠れた銃眼から一斉射撃も可能と、敵の攻撃に耐えられる陣地が組まれていた。 S0101061.JPG 塹壕の跡、114年経っても残る。 S0101062.JPG S0101064.JPG 観光地あるあるの記念写真を撮らせてお金を支払う商人。チープな機関銃の模型と一緒に塹壕での記念写真を撮るというもの。 S0101065.JPG S0101067.JPG S0101068.JPG 日本軍の爆破口跡。べトン(ドイツ語:コンクリート)でガチガチに固めた要塞に突破口を開こうと日本軍は塹壕を掘り進め、地下坑道を掘って2トンの爆薬を仕掛けて爆破。ようやく占領できた。 第三回総攻撃の始まり、1904年11月26日の爆破口がここだそうだ。 S0101070.JPG S0101071.JPG S0101072.JPG