サハリン・樺太旅行記(08年9月)

サハリンを旅して

コルサコフから出航。さようならサハリンよ。 2ヶ月に渡るサハリン・樺太旅行記もこれにて終わります。何かと写真のスキャンに手こずりまして、まあ時間を掛けたこと。デジカメの画像もたくさんあるので、スナップショットをいくつか載せます。 ユジノ・サ…

ホルムスクの空。その2

追悼碑は王子製紙工場跡を見下ろせる所に在りました。向こうのほうに煙突の一部が見える。時間がなかったこともあって工場跡には訪れなかった。 日本車が走ってる。う~んここはロシアなんだか。 街中にある廃墟。いつの時代の建物か廃墟が目立つ。 ホルムス…

ホルムスクの空 その1

ホルムスク(旧真岡)は小さな港町といった印象。無機質な集合住宅が崖の上にそびえ立つ。 サハリンで走っている車は大半が日本車。中古車ディーラーが日本でまとめて買い付けてサハリンまで船で運んでくるんだそうです。ロシアのナンバープレートは幅広なの…

ホルムスクの戦勝記念碑

ノグリギから夜行列車でユジノ・サハリンスクに着いた。朝からいい天気。 ホテルにチェックイン後、少しだけ部屋で休憩。ロシアでは今の季節にボイラーの点検をしており、日中はお湯が使えないことがある。夜行で二泊を過ごしていたので、ホテル側の配慮で少…

サハリンの小学校へ。その3

追記。 ロシアでは教科書は買う物ではなく、借りる物として何年も受け継がれるそうです。日本やアメリカでは買ってからその内容を覚える方法をとりますが、ロシアでは内容を読んで理解するといった方法をとるそうです。これから新学期ということもあって教科…

サハリンの小学校へ。その2

ここからは各教室を紹介。教科ごとに教室が分かれているのは日本と少し違う。 さっそくこの教室はなんの教室だったか?授業の終わりは椅子をちゃんと机の上に。 ここは化学の教室。元素記号はスイヘイリーベ ボクノフネ…後なんだったか。 ここは数学の教室。…

サハリンの小学校へ。その1

午前中の予定が狂ってしまったので、どうしようかとガイドのA君が考えた結果「小学校へ行ってみますか?」という場当たりでも我々外国人には珍しいロシアの教育現場を見学させてもらえるように交渉してくれた。ロシアの義務教育は11年制。この学校はその一…

石油の町ノグリギ。その2

油田を観た後はノグリギの街中を見て回ることに。 小雨が降るあいにくの天気で、霧が濃い。石油会社の建物。 戦勝記念碑。ここは北緯50度線より北にあるので昔からロシア領。対独戦開始の「1941」と終戦の年「1945」の数字がある。独ソ戦は確かに1…

石油の町ノグリギ。その1

寝台列車サハリン号の終着駅は石油の採れるノグリギという町。降りてみるとユジノ・サハリンスクよりさらに寒い。防寒着を用意するようにと事前事項にあったが、9月3日の曇天の空。気温は一〇度中盤ぐらいしかない。すぐにバスに乗り込んで凸凹のダート(…

サハリン鉄道の夜。

「○界の車窓から」今日はユジノ・サハリンスク~ノグリギ間の鉄道の旅です。寝台付き列車、名前は「サハリン号」。今回生まれて初めて寝台付き列車に乗ります。樺太時代にあった鉄道を延長し、石油採掘が盛んなノグリギまでを結びます。予定ではノグリギにあ…

自由市場(バザール)の中。

どこの国だって市場があり、その国で食べる物全てが集まります。今回は自由市場の中を紹介します。 そういえばロシアのアニメでスイカの皮を使ってイタズラを(滑りやすく)するという場面があったっけ。 日本の「ムーニー」が。 サハリンのスーパーならどこ…

流刑地サハリンを旅したチェーホフ。

その昔、1891年から95年にかけてロシアの小説家アントン・チェーホフがサハリンの刑務所を廻り、ノンフィクション記事を新聞に投稿しながら旅をした。ロシアでも未発掘で、この世の地の果てとも比喩されていた場所。そこはロシア国内の重犯罪者の行く辺地、…

豊原は消えてしまった。その2

ここサハリンでは戦勝記念日というのが9月3日にあり(9月2日は日本がポツダム宣言の調印をした日で翌日が対日戦勝記念日。5月9日には対独戦勝記念日。)、日本との戦争(1945年8月9日ソ連軍参戦から28日全島占領まで。)の戦闘の犠牲者を追悼…

豊原は消えてしまった。その1

今日はユジノ・サハリンスク市内(旧豊原)の日本領地時代の面影を廻る日です。 樺太当時一番大きな街でした。 まずはユジノ・サハリンスク駅すぐ近くにある車両の展示スペースへ。 鉄道に詳しくないのでよく分からないですが、日本から無償譲渡された車両。…

キオスク

ユジノ・サハリンスク観光の前に、ロシアのキオスク(万屋「ヨロズヤ」)事情について。 キオスクはもともとトルコ語で「あずまや」の意なんだって。 ユジノ・サハリンスク中心部では24時間営業のキオスクがあります。また日本の駅中のキオスクのような小…

北海道から154km、隣の国はロシア。

1905年、ポーツマス条約により樺太島(ロシア名:サハリン)北緯50度線以南は日本領土に、樺太と命名。日本人の入植が始まる。それから40年の間、南樺太は木材、石炭、漁業など豊富な資源に恵まれ、発展していく。終戦時には約40万人もの人口がい…

北の果てよりさらに北へ。

関西空港から一日一便しかない飛行機で北海道は北の果て、稚内へ。 8月末にして、日中(到着時は曇っていた。)はかなり涼しい。朝晩はT-シャツだけでは寒いくらい。 バイカー、ツーリストがちらほら。この場所には将来バイクで来たかったのだが、早くもこ…