北海道から154km、隣の国はロシア。

1905年、ポーツマス条約により樺太島(ロシア名:サハリン)北緯50度線以南は日本領土に、樺太命名。日本人の入植が始まる。それから40年の間、南樺太は木材、石炭、漁業など豊富な資源に恵まれ、発展していく。終戦時には約40万人もの人口がいた。(香川県高松市2008年8月の総人口約42万。)

第二次大戦末期、日本本土最後の地上戦があった。

ソ連軍は終戦間際の8月9日に50度線国境を越えて南下を開始。日ソ中立条約を破棄した一方的な攻撃だったが、すでにヤルタ会談においてソ連の対日宣戦が約束されていた。連合国(アメリカ、イギリス)も容認していたソ連軍侵攻で樺太は大混乱。日本軍の武装解除も遅れて民間人の犠牲者は戦後8月15日からの方が多い。

詳しくはウィキペディア樺太

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA#.E5.9C.B0.E7.90.86_2

その1905年からの40年、日本を出発し新天地を求めて樺太へと渡っていった移住者たち。現在はもうなくなってしまった日本の町がある。100年前の日本人は同じ海を見て、不安と、野心を持って渡っていった。深い青色をした海。

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2等客室でウトウトしていたら出航の時には晴れていたのに、少し霧が掛かってきた。

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向こうに見えるのはサハリンの陸だろうか。ちなみに北海道宗谷岬サハリン州クリリオン岬(日本名:西能登呂岬)の間は約42kmしか離れていない。稚内コルサコフのフェリーの航路は159km。

また北海道とサハリンを橋かトンネルで結ぼうという計画があるんだとか。

北海道新聞より、すでに削除されているようだが。

http://www.nikken-times.co.jp/new/20080830.1/1220027760.html

地盤の状態にもよるが、技術的には問題ないだろう。それにしてもすごい計画だ。またサハリンとロシア本土をつなげると日本はユーラシア大陸と陸続きになる。

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2等客室の中。雑魚寝ができる。1等は椅子席と和室があるそうだ。

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これが俗に言う『船弁』。おかずは北海道の海の幸中心でうまくて満足。『駅弁ひとり旅』って漫画で取り上げていたと思う。うろ覚えですが。イカの詰め煮がおいしいよ。

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ようやく港が見えてきた。コルサコフ(旧大泊)へ。

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いよいよ入国です。さすがロシアだけあって入国審査は時間をかけます。入国の時には電子機器の持ち込みを申請しないといけなく、乗船中にそれを申請用紙に書いておかないといけません。しかし手荷物はX線検査もありません。

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ロシアのカレンダーは変わっていて曜日が縦にあります。横に曜日があるのもあるんですが、こちらがの方が一般的のようです。

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もう夕方、外に出た時は肌寒い。でもサハリンっ子たちは元気。ロシアでは短い夏を楽しむんだそうだ。

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これからユジノ・サハリンスクまで車で一時間弱。ホテルで一泊。明日はユジノ・サハリンスク(旧豊原)観光です。