『ビバリウム』19年・ベルギー・デンマーク・アイルランド

「お子様は?」「まだです。」 原題『VIVARIUM』 物語 夢のマイホームを夢見るカップルは、とある不動産屋に理想の生活を提供すると謳う住宅街へと案内される。薄気味悪い不動産屋は案内を終えるといつの間にかどこかへ消え失せ、カップルはその場から帰ろう…

突然の宣告 コロナクライシス

今週水曜の話。 東京のグループ会社総務部長である人と 会議室でネット中継の面談があった。 先週に自己評価の面談が部長とあったので、その評価がよくなかったのか 少し思案が廻った。 簡単な紹介で初めて話す人だった。会社もグループ会社が一つになったり…

人生の転換期

昨年8月が最後のブログ記事だったようですが、だれかこのブログ読んでいる人いるのかな? 2021年2月。コロナ禍で社会が暗中模索している中、なんと近況で人生の転換期がやってくる可能性が出てきました。 なんと15年続けた仕事が無くなりそうです。 そして迫…

ブログの引っ越し

ブログの引っ越しは今回で3回目、 MSNブログ→so-netブログ→SSブログ→はてなブログという遍歴。 SSブログからはエクスポートで(過去記事が多いことから年月で区切って一個一個エクスポート)MT(MovableType)形式で保存。 インポートは文字コードUTF-8でOK…

分解してみる

素人が手を出してはいけないような気がしますが、教本通りに分解に着手しました。何しろボロい。汚い。臭うのでは清掃は仕方ない。 クラリネットマニュアル 日本語版出版社/メーカー: ヤマハミュージックメディア発売日: 2019/01/25メディア: 単行本 教科書…

ペンツェル・ミューラー PENZEL-MUELLER

格安で購入したクラリネット。届いた感想はというとボロい。臭う。触ると汚い。と散々なものでした。クラリネットについてリサーチをするとNY生まれのもう既にないメーカー、70年物の相当古いものということが判明。 どうやって使えるようにするかまずは勉強…

買っちゃった。

コロナ禍(「コロナわずらい」と読んでたけど「コロナか」でよいらしい。)で休業扱いになり、もう1カ月。5月31日まで延長も決まった。 部屋に籠るのも何か楽しく遊べるものがないかとヤフオクを巡回中にジャンク扱いの楽器が目に飛び込んできた。 「古いク…

ロシア人街

中山広場の中国銀行大連分行(旧横浜正金銀行) ヤマトホテルの裏だったかな? バスで移動。ロシア人街へ。 日本人街。戦前、高級住宅地だったところ。現在は共産党幹部の別荘地として人気だとか。 大連のメイド喫茶。こんなものまであるのか。 勝利橋(旧日…

大連ヤマトホテル内部

ここから大連ヤマトホテルの内部の画像。現在でもホテルとしての機能のほかに、中国共産党政府所有のホテルとして外交会議や晩餐会が開かれるところ。ガイドの人から共産党幹部と癒着している人物を写真に収めるだけで不当な逮捕をされるかもと念を押されま…

大連中山広場 大連ヤマトホテル

大連中山広場へ。ここはロシア統治時代はニコライェフスカヤ広場、日本統治時代は大広場と呼ばれた。1908年~1935年の間に日本人建築家によるゴシック様式、ルネッサンス様式の建築が立ち並んだ。 大連民政署(旧大連警察署) 大連ヤマトホテルは南満州鉄道…

大連市内観光 その2 大連港

大連港へ。 大連港は太平洋戦争終結で中国大陸から日本に引揚者たちでごった返しになったところ。1946年12月~1947年3月、大連港より20万3765人の日本人の引き揚げが行われる。その後も引き揚げが行われた。 ホテルに帰る。〇ンリオのキ〇ィちゃんと〇ラえも…

大連市内観光 その1

バスで少し移動して大連市内に入りました。 日露戦争後から太平洋戦争までの日本の史跡を巡ります。人民広場に向かう。 大連市人民政府(旧関東州庁舎) 東大安田講堂館に似てる大連市裁判所(旧最高裁判所) 労働公園へ少し観光。日本統治時代は『西公園』…

水師営会見所

旅順203高地の観光の後で日露両軍の降伏会見場として使われた水師営に向かいました。 203高地からはほど近い。現在周辺は住宅地になっている。乃木将軍、ステッセル将軍の会見所としてこの農家を接収して会見場とした。水師営は第一回総攻撃ですでに日本軍占…

日露戦争、旅順攻囲戦 古写真 その3

旅順攻囲戦のロシア軍降伏後の古写真がいくつか見つかったので載せます。 解説は写真を元に独断で考察したもので間違いもあります。 旅順要塞降伏後、白玉山から旅順港をみる日本兵。 攻囲戦後、進駐する日本兵。 1905年1月1日、日本軍の猛攻により守備兵力…

二百三高地を登れ!その2

爾霊山塔を見た後で駐車場へ。帰る少しの間だけ西側山頂へ向かいました。 ここを下ると保典戦死の石碑があるところじゃないかなと思います。 旅順港を見る。 115年前の旅順港、二百三高地から。 2015年の旅順港。 そしてこの場所にデンと建造されていたのが…

二百三高地を登れ!その1

旅順包囲戦、最大の激戦地、203高地へはバスで中腹の駐車場まで登れます。 203高地は別名「爾霊山」(にれいざん)。すぐとなりに老虎溝山(赤坂山)があるのですが、駐車場から反対側に登るらしい。そこにはいけなかった。爾霊山の塔があるのが203高地東側…

旅順駅、旅順ヤマトホテル

もう5年前になるね… 東鶏冠山北堡塁の後で旅順市街に入りました。旅順港は太平洋戦争後も軍港として発展、外国人の立ち入りは制限されていたという場所。現在では日本人観光客の増加により戦前の建築文化財の保存に乗り出し、まだ観光整備中といったところで…

非常事態宣言

2020年新春の頃から新型肺炎のニュースが話題になり、ジワジワと都市部の感染者拡大、4月始めに非常事態宣言が発表され、職場でも自主休業が決まりました。 仕方がないので部屋に籠っていろいろやっているわけですが、たまにはブログに日記を書こうと思い立…

『ターミネーター:ニュー・フェイト』(19年・米)

「私の為に死なないで」 ターミネーターシリーズ1~2の正統な続編。 『ターミネーター』(84年)、古典的名作。サスペンス・スリラーが強いがアクションもなかなか。 『ターミネーター2』(91年)、アクションの大傑作。CGの使い方、演出も素晴らしい。 …

旅順口区国防教育基地 二十八センチ砲弾

兵舎跡に隣接する資料館で旅順攻囲戦の資料をまとめた資料館があります。 いわゆる日本の大陸侵略の先駆けとも取れる旅順攻囲戦の紹介なので日本批判ももちろんあります。 ここから出土した不発弾の展示。この時代もまだ信管の開発が未発達で不発弾も多かっ…

コンドラチェンコ少将の石碑

少し脱線してましたが続けます。もう4年前のことなんだね。 東鶏冠山北堡塁ロシア軍宿舎の近くに敵将コンドラチェンコ戦死の場所という石碑がありました。日露戦争後の1905年から太平洋戦争終結の1945年まで朝鮮半島と、この遼東半島、大連までは日本の本土…

『JOKER』19年/米

「俺の人生は悲劇だ。いや違う。これは喜劇だ。」 「主観で物事を言うな!俺は狂ってはいない!」 言わずと知れたこの年、この秋の話題作。アメリカン・コミックスの『バットマン』の敵役キャラであるジョーカーにスピンオフした本作。コミックの原作から『…

so-netブログのドメイン変更

日記すらまったく書かなくなりましたね~。 ブログは暇なときでも放置状態でした。 今年9月にso-netブログのドメイン変更でSSブログに移行よろしくとso-netからお知らせがありました。10月開始、12月15日までにSSブログID取得なので早めにやってしまいました…

日露戦争、旅順攻囲戦 古写真 その2

閲覧注意。このページには遺体写真が載っています。 1904年冬。二百三高地に日本軍の砲撃が着弾。 日本軍側から二百三高地。 二十八センチ砲を発射。旅順攻囲戦には18門が投入され延べ16,940発を発射。弾速は遅く、発射された弾丸が肉眼で見えた。不発も多か…

『ブラック・クランズマン』(米・18年)

「白人のアメリカ万歳!」 原題は『BlacK k Klansman』でそのままなのだが「Klansman」はクー・クラックス・クラン団員のことを差し、黒人警察官が白人警察官とのコンビでKKKへの潜入捜査を描く。タイトルのBlackとの間にKが入るとkkkが並ぶという凝ったもの…

『翔んで埼玉』(19年・東宝)

「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」 公式ホームページ http://www.tondesaitama.com/ 魔夜峰央の原作漫画の映画化にしておバカ路線を一直線! 関東、武蔵の国から東京が分離独立し、残った所が埼玉県。東京から外れた地方都市の田舎自慢都会…

日露戦争、旅順攻囲戦 古写真 その1

ブログ放置して申し訳ありません。仕事が多忙で中々更新できませんでした。 ロシア軍からみた日露戦争の写真を色々集めておりました。主に旅順港あたりの古写真です。著作権的に大丈夫かな? 正確な時期や場所などはわかりませんが、独自の解釈と推理から古…

旅順:東鶏冠山北堡塁跡 その3

すこし時間を空けてしまいすみません。 大連、旅順、東鶏冠山、北堡塁跡の続きです。 東鶏冠山を受け持った第11師団の攻撃時系列。 1904年8月19日~24日、第一回総攻撃、外壕発見。外壕に躍り込んだ隊は全員死亡。 10月30日~31日、第二回総攻撃。第22連隊(…

旅順:東鶏冠山北堡塁跡 その2

東鶏冠山堡塁攻略を任されたのは第2軍から第3軍に編入された第11師団。香川県、善通寺に司令部を持つ四国の師団だった。 wikipediaより画像。 外側にあった日本軍の爆破口跡。 第一回総攻撃(1904年8月19日~24日)8月18日深夜から二日間の砲撃で東鶏冠山を…

旅順:東鶏冠山北堡塁跡 その1

大連のホテルで一泊、この日が旅行最後になりました。 ここから旅順:東鶏冠山北堡塁(ひがしけいかんざんきたほうるい)跡へ。日露戦争、旅順攻略の激戦地です。 ここから駐車場。日露両軍のつわものどもが夢のあと。114年前のできごと。 駐車場にあった露…