日露戦争、旅順攻囲戦 古写真 その1

ブログ放置して申し訳ありません。仕事が多忙で中々更新できませんでした。 ロシア軍からみた日露戦争の写真を色々集めておりました。主に旅順港あたりの古写真です。著作権的に大丈夫かな? 正確な時期や場所などはわかりませんが、独自の解釈と推理から古写真の解説とキャプションをつけていきます。資料の参考にはしないでください。 0_e6a6d_51b4a1f3_XXXL.jpg 1904年12月、旅順港周辺は日本軍に包囲されて、帝政ロシア軍は強固な陣地を構築していたが、長期に渡る攻防戦により、両軍疲弊していた。ロシア軍は塹壕を掘って前線を維持。日本軍の砲撃が近くに着弾。 0_e6a8b_9a8ac8be_XXXL.jpg ロシア軍は日本軍の総攻撃に備えて前線の塹壕に張り付く。時たま来る砲撃には壕に隠れるしかない。食事の風景。 0_e6a6b_40bfbb8c_XXXL.jpg ロシア軍の大砲。旅順港外側に向いていたのに陸側に向けるようになった。よく見ると砲身は丸太。壊れたのか偽装している。 0_e6a62_14a9fba9_XXXL.jpg 塹壕から顔を出すと狙われるのであまり高い姿勢はできない。 109896-d18c63ace5f835c9b8e6bb06788455ee.jpg ロシア軍の大砲。形は日本軍の二十八センチ砲そっくりだが、少し砲の規格が小さい榴弾砲。 それもそのはず、二十八センチ砲もドイツのクルップ社製の砲を国産化したのに始まり、 ロシア軍もこのクルップ社製砲を輸入して配備していた。 旅順港攻略戦で名をはせた二十八センチ砲は不発も多く、陣地に着弾した砲弾をロシア軍が回収して打ち返したという話もある。 5d1a19d33766325dcc06203d04a78b12.jpg 109898-01a036ff58357bb1b471f4f73efaebc1.jpg 大砲の横でサモワール(ロシア独特の湯沸かし器)を沸かす。 0_e6a99_a4100253_XXXL.jpg 0_e6aa9_c0b852e4_XXXL.jpg 0_e6aae_d6f0a5ce_XXXL.jpg 0_e6a90_1b363be7_XXXL.jpg 0_e6a70_efd06913_XXXL.jpg 写真奥にあるのが東鶏冠山北堡塁の兵舎だと思われる。 憶測だが望台から撮った写真。 109890-9b927f93c65ddc0dc8c727b123122896.jpg 日本軍の動向を監視中。 109891-f84bbbc72257b84a739503e206280859.jpg 日本軍は総攻撃の準備に近くまで塹壕を掘り進んでいた。時たま顔を出す日本兵に狙撃をする兵士。 109936-5be4a2f44dab62fbdc6fecffa215cc2a.jpg 0_e6aa7_ed5fed92_XXXL.jpg 前線維持の為に防衛陣地に派遣される兵隊。 109894-227df2473466dddb9ff124431e45c8e5.jpg 109889-c3805fd0a07dba9afffc3237ccec0dfc.jpg 109897-3c1ba9cd3e56be2857723d9a251a6d08.jpg