流刑地サハリンを旅したチェーホフ。

その昔、1891年から95年にかけてロシアの小説家アントン・チェーホフがサハリンの刑務所を廻り、ノンフィクション記事を新聞に投稿しながら旅をした。ロシアでも未発掘で、この世の地の果てとも比喩されていた場所。そこはロシア国内の重犯罪者の行く辺地、網走番外地とも、デビルズ島とも、アルカトラズとも。生きて帰れない流刑地を行ってみようと考えたのはなぜか?今なら海面下11000mの深海に行くか、8848mのエベレスト山に登るか、北極点や南極点、火星に行くぐらい難しい僻地だった。だいたい小説家や思想家や偉人(映画監督も)世界の色んなところを旅をするのが好きであり、彼も世界の果てを見たかったのかもしれない。当時なら死ぬ覚悟で行っただろうに。

ウィキペディア『アントン・チェーホフ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%95

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旅行に行くと意外と少ないのが、こういったその土地ではなんでもないような風景の写真。ユジノ・サハリンスク市内、ちょっとした裏通り。

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写真がゴチャゴチャしていて整理し切れていないですが、市内にある屋内型の自由市場。中の画像はまた後日。

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昼食を食べたセルフ・サービスのお店。注文して支払いを済ませてから食べる。レストランではないかな。大衆食堂といった感じのお店でしたが、「撮影はダメ」と注意された。働いている人は女性ばかり。

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メニューはガイドさんに先に注文して食べていた人のを「僕も同じやつ」と通訳してくれて注文した。料理名が分かっても何が入ってるか分からない。ロシアでは夕食よりランチが一番豪華で時間を掛けて食べるそうだ。

左上からミートボールのトマトソース煮と(日本でも食べ慣れたような味で違和感なかった。)マッシュ・ポテト(妙に黄色くて滑らかになるまでマッシュされてて、薄く味が付いていた。)。

肉じゃが風の料理(豚肉とジャガイモ。酸味があって不思議な味。)とライス(水分が少なく粘りがなかったのでタイ米の仲間か?これも少々塩が利いていた。)、水。炭水化物ばっかりで満腹。

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歩いてチェーホフ記念館へ移動。レーニン広場は週末や祝日に新婚さんが記念写真を撮りにやってくる。それぐらいサハリンでも綺麗な場所だ。

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途中、北京オリンピックのロシア代表の看板が。

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市内で一番大きいキナチャートル アクチャーブリ(アクチャーブリ映画館)。アメリカ映画も上映しているらしい。看板にあるのはニコラス・ケイジでは?

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ロシアの一般的な集合住宅。サハリンでは風雪の為か壁がボロボロに汚れていて、一見廃墟か入居しているのかも分からない。でも一部屋分だけ壁や窓が綺麗だったりする。

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チェーホフ記念館は住宅街にひっそりとあった。サハリンで一番の有名人。

中はもちろん撮影禁止。訛りが強くて早口な英語を話すロシア男性が館内ガイドをしてくれた。さらに英語を日本語に同時通訳でガイドが進行する。

チェーホフは鉄道や馬を乗り継いで、最後は船でサハリンへと渡った。初めはサハリンの刑務所所長に訪問の許可を手紙で送ったのだが返事は返ってこなかったらしい。サハリンについた後は囚人たち全てに会って話を聞き、一人一人のカードを作ったりした。

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僕もお金と時間が自由に使えたら、世界を旅してみたい。旅は人生体験なのだから。