豊原は消えてしまった。その1
今日はユジノ・サハリンスク市内(旧豊原)の日本領地時代の面影を廻る日です。
樺太当時一番大きな街でした。
まずはユジノ・サハリンスク駅すぐ近くにある車両の展示スペースへ。
鉄道に詳しくないのでよく分からないですが、日本から無償譲渡された車両。キハ系?(日本領地時代のものではない。)
サハリンでは樺太時代の鉄道の車輪幅、「狭軌」が今でも使われています。最近ではヨーロッパやロシアで一般的な「広軌」への工事が進んでいる。
ウィキペディア「サハリンの鉄道」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93
ここから除雪車の展示。形もいろいろあって面白い。
ここからは樺太時代の玉川橋の写真。すぐ隣に旧ソ連時代に作った大きな橋があるがその隣でひっそりと今もたたずんでいる。
橋の名前が書かれてあるプレートはなくなっていた。
向こうに見えるは樺太軍病院だった建物。手前はガス工事の現場(ユジノ・サハリンスク市内ではいたるところで工事をしている。未舗装路も多数。)。
ここからは旧王子公園。現在はガガーリン公園。王子池の周りにあるのは子供鉄道のための線路。
王子池からすぐ隣にある遊泳スペース。ガイドのAさん(現地旅行会社から派遣されたサハリン生まれ、サハリン育ちのバイトくん。大学で日本語専攻卒、若干20歳)は小さい時、学校の遠足で真冬に(寒中水泳の授業?)ここに飛び込んで次の日風邪をひいたという。
名前は変わってもなくならない物がある。戦後、ソ連軍に倒されたがそのまま残る石碑。
(メモに書くのを忘れていた。)神社跡。サハリンの人には日本時代の神社の価値はわからないのか。公園の奥にあるのでゴミが捨ててある。
向こうにあるのは動物園。
ここは日本時代からあったスキー場。現在でも使われている急勾配なコースある。毎年2~3人事故で亡くなる人がいるんだとか。
ユジノ・サハリンスク市内が見える。旧豊原の面影はない。