ホルムスクの戦勝記念碑

ノグリギから夜行列車でユジノ・サハリンスクに着いた。朝からいい天気。

ホテルにチェックイン後、少しだけ部屋で休憩。ロシアでは今の季節にボイラーの点検をしており、日中はお湯が使えないことがある。夜行で二泊を過ごしていたので、ホテル側の配慮で少しだけお湯を出してくれるようにしてくれた。が、水しか出なかった。頭だけ洗って、体を濡れタオルで拭くにとどまる。

今日は車でホルムスク(旧真岡)に行く予定。真岡といえば真岡郵便局電話交換手の女性、集団自決が起こった町だ。

ウィキペディア真岡町』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E7%94%BA

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ほんとに『世界の車〇』みたい。これもコソコソ撮ったもの。

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ユジノ・サハリンスク駅。ワゴン・タクシーがたくさん止まっている。

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ホルムスクへ行く道程がサハリンの印象を決定付けた。広大な風景が広がる。

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トウモロコシ畑。野菜は市場で見るものほとんどが栽培されているようだ。

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キャベツ畑。

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農村の風景。ブレてしまっているのはサハリンの道路事情の為。

郊外の直線道路なら80kmは出している。また道路のヒビや凹凸が所々にあって強い衝撃がくる。クッションのいい座席でよかった。

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そして着いたのがホルムスク少し手前にある戦勝記念碑。山の中腹にあるここは樺太時代、熊笹峠と呼ばれていた。

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大砲が向いているのは実は日本の方向。ここ熊笹峠で亡くなったソ連兵の名前が刻まれている。

真岡は樺太領地時代に王子製紙工場がある工業の町として栄えていた。ソ連の参戦により、海から戦艦の艦砲射撃で町は破壊され、真岡の人々は熊笹峠から豊原へ逃げようとここは大混乱になった。日本兵も退却していた為に、上陸したソ連軍は攻撃を緩めず、市民を巻き込み多数の犠牲者が出た。

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後になって分かったが、向こうに日本軍トーチカ跡があるそうだ。

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谷間に見えるのはホルムスクの街。

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