コトルの街 その2

DSCF1896.JPG モンテネグロと日本の歴史、書類上の100年戦争。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E9.80.A3.E9.82.A6.E5.86.8D.E7.B7.A8.E3.81.8B.E3.82.89.E5.86.8D.E7.8B.AC.E7.AB.8B.E3.81.B8 https://www.youtube.com/watch?v=g6gZx0iEfP0 日露戦争が1904年~5年、モンテネグロ国王ニコラ一世の治世から憲法ができたのが1905年。独立はその前の1878年からで、まだまだ国として出来上がっていなかったころのモンテネグロ(日本も憲法公布は1889年)。実際、宣戦布告したという書類もなく、ポーツマス条約ではロシアが呼ばずに忘れ去られ、日本は参戦していたかどうかも知らなかったという。 ロシア、セルビアは先祖代々の領土を奪い返した国(露土戦争後、ベルリン会議で領土確定)、ということならロシアの敵は日本ということで義勇兵満州に送ったということまではわかっている。そもそも義勇兵の定義は自発的に参加した正規軍ではない存在だ。 モンテネグロセルビアから独立したのが2006年でわずか10年前。旅行当時は8年前でしたがモンテネグロ人も日本との宣戦布告の歴史は知らないように思う。なによりサラエボ事件がすぐ近くのボスニア・ヘルツェゴビナで起こったことからそちらの方が重要だ。 DSCF1897.JPG DSCF1898.JPG DSCF1900.JPG DSCF1901.JPG DSCF1903.JPG 聖ルカ教会。 DSCF1904.JPG モンテネグロ地震国なので幾度か被害を受けている。聖トリフォン大聖堂の二つの鐘楼は修復されているが実際は北側にもう一本あったという。 DSCF1905.JPG DSCF1906.JPG DSCF1907.JPG DSCF1908.JPG DSCF1910.JPG DSCF1911.JPG DSCF1912.JPG DSCF1913.JPG アイスクリームを頂く。ユーロに入っていないのにユーロが流通貨。不思議。思えばこのカフェテラスはアイスクリーム屋さんのではなかったのでは? DSCF1919.JPG 滞在2時間ほどでコトル観光は終わり。滞在時間が短いのはモンテネグロ国境の通過審査でスケジュールがうまく組めない為だったが早目に終わり、コトル観光も早々としていなければドゥブロヴニクのように半日かけて滞在したいところだった。 モンテネグロアドリア海側のスベティ・ステファン。『007』シリーズでも舞台になったという美しい出島。バスが途中止まってくれました。 DSCF1920.JPG DSCF1921.JPG DSCF1922.JPG DSCF1923.JPG 止まった道路にあったお土産売り屋さん。 DSCF1924.JPG モンテネグロの首都、ポトゴリッツァまで。 DSCF1926.JPG DSCF1929.JPG DSCF1933.JPG DSCF1936.JPG DSCF1938.JPG DSCF1939.JPG 首都のポトゴリッツァの観光ができないのは残念でしたがこの後イスタンブールへ(2時間)。ビジネスクラス利用者のラウンジで7時間を待ち抜き(高級感ある場所でシャワーあり、食事もできて何も不自由しなかった)、イスタンブールから11時間かけて関空へ。(食事は行と同様のビジネスクラスの食事サービスが寝る前にある。食べきれない。 今回は体調が崩れることがなかったのでよかった。ビジネスクラスという贅沢な旅でしたが何より素敵な観光地、(スロベニアクロアチアモンテネグロアドリア海が美しい。食事が美味い。とすべてがそろった観光でした。 週末忙しくて旅日記に色々時間が掛かってしまいましたがこれにてスロベニアクロアチアモンテネグロ旅行記は終わりです。見てくださった方ありがとうございます。