戦時中、地図になかった島へ その1

さてさて、遅めのGWソロツーリングの話題。
我が愛馬はHONDAのSL230。「トレール」という未舗装道をとことこ走るバイク。
パワーは弱いけど、小回りが利いて足つきがよくって、いいバイクなんです。丸ライトが好きなんです。

今回の旅の目的地は変わってます。ほんと~にマニアックです。

そもそも「中国・四国ツーリングマップル」の瀬戸内しまなみ海道が乗ってるページで偶然見つけた「毒ガス資料館」なる文字を見つけたこと。

瀬戸内しまなみ海道が通る島の中で、一番大きい大三島の北にある島が大久野島

http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34%2F18%2F14.19&lon=132%2F59%2F31.776&layer=0&mode=map&size=s&pointer=on&sc=8
(地図のリンクってこれでいいのかな…。著作権法違反ならないよな…。)(。_。υ’)

ネット調べるといろいろわかります。これは自分が撮影した写真。

大久野島広島県沖にある周囲4.2kmの小さな島。昔から小さな集落があったそうですが、20世紀初頭からこの島はガラリと変化します。

日清戦争後、旧日本軍の拠点として島に大砲陣地を作ろうとしたのに始まり、3ヶ所の砲台が備え付けられ、島の周囲に向けられていたそうです。日露戦争にはそこに築いてあった大砲は一部、旅順攻略に使われたそうです。(旅順攻略の大砲というと…あれだろうか?)

第一次大戦には前線で使用するために全て大砲は取り外され、その後数年は芸要塞としての価値はなくなっていたそうですが、1929年にこの島に毒ガス工場が作られることが決定。化学兵器製造のため、島は関係者以外は完全に行き来を遮断され、極秘をつらぬくために地図からもその存在を消されていました。45年の終戦までこの島で生産された毒ガス兵器は多く中国前線で使われ、戦後、島に残った毒ガスだけでも全世界の人間を殺すほどあったとか。

現在では休暇村としての役割に平和的な利用をされていますが、なんとも暗い歴史と運命にすごい興味をひかれた。こんな場所が日本にあったのかって。それで決めました。今年はここに行こう。

今日はここまで、明日明後日と更新します。

カリンバはもうちょっと待って。どうやって録音するのかわからないんです。