『川本喜八郎作品集』(68年~90年)

『花折り』 (1968年14分)  物語:桜が咲く頃の事、和尚が出かける祭、枝に「花折るなかれ」と短冊をつけて、小坊主に寺の留守番を任した。塀の外では花見に招かれざる客が…。 解説:BGMと効果音、ほぼ無セリフでジェスチャーによる構成ながら、お経を唱える小坊主の声に黒柳徹子さん。声が若い印象。ユニークかつ人形の愛嬌ある動きが微笑ましい。タイトルクレジットが英語なので海外を意識した作品の印象。背景は絵で、絵巻物のような平面的な撮影。 『犬儒戯画(全長版)』 (1970年8分パートカラー) 物語:舞台はドッグレース場。主催者側は新しい余興として喜劇を取り入れたレースを披露するが、賭けをする観客からは賛否両論。審判(?)がこの現状を、主催者と観客双方を嘆くのだが、レース場は突然の暗闇に覆われ、レースを実況するアナウンスだけが響き渡る。 解説:全編フランス語による実況中継のアナウンスの響に雑多なレースの雰囲気を感じる。審判か犬の調教師が嘆くのは、この意図的に行われるエンターテイメントのくだらなさを主張している。レース場では、犬も観客も変わらないという皮肉の利いた作品。アニメーションは写真を撮影してはプリントを切り抜いてコマ撮りしたそうだ。 『鬼』 (1972年8分) 物語:生まれてこのかた不幸なことばかりに遭ってきた老婆。その老婆の息子二人は鹿狩りに行って来ると母に告げ、夜の山へ。罠を仕掛けている最中、何者かの襲撃に合い、兄が弓矢でその何者かの腕を射断つ。急いで帰った兄弟は腕を見て驚く。この腕は… 解説:昔話にあるような鬼を描く。日本画のような真横の描写と光と影が印象的。歌舞伎のような立ち振る舞い、三味線のリズミカルな音楽が鼓動とホラーを感じさせる。お面のような顔の無表情ながらもその動きや照明で感情表現される演技。 『旅(全長版)』 (1973年12分) 物語:一人の若い女が体験する旅とは? 解説:ストーリーを説明するにはどうすればいいやら。ダリの絵のようなシュールな異空間。無秩序な世界。主人公は若い女なので意味することは旅で体験する物事のように人生体験することとは?という意味か?何か退廃した世界に人生を悲観するようなシーンがあるが。 切り絵アニメーション。 『旅(再編集版)』 (1973年4分) 物語:解説ははぶきます。 『詩人の生涯』 (1974年19分) 物語:貧困にあえぐ工場の労働者がストを起こす。その母親は息子の境遇を案じながらも糸つむぎの内職をしていたが突然、糸より車に体を吸い取られてしまう。紡がれた糸は近所の老婆によってジャケツ(本編ではこのような表現がされてあった。)にされたが、売れなかった。みなジャケツを買う余裕がないのだ。労働者は不当な労働条件に対してスト賛同を呼びかける。そんな中、大寒波が街を襲う。 解説:原作は安部公房。切り絵アニメーションながら白黒映像のようなデッサン画の世界。近年の大不況を感じさせる冬の、貧困の、絶望の世界との戦い。サイレント作品のようなタイトルカットが挿入されるが、文学作品のような奥ゆかしさがある。 『道成寺』 (1976年19分) 物語:熊野詣の道中の僧が、とある宿に泊まることになるのだが、その女主人に見惚られ、関係を迫られる。僧は困って方便を唱えて出て行くが、女は騙されたと知った時、執念深く後を追う。 解説:純和製人形アニメーション。女の情念を狂気のように描くが、そこがどこか美しくも恐ろしい。日本のホラーや昔話のよさは「怨み」や「念」を感じさせることだと思う。そこがなにより怖い。 追いかける女の髪のなびきがライブアクションと勘違いした一人の審査員がアヌシー賞の候補から落としたという逸話がある。そのライブと見間違うほどの動きに圧倒される。 『火宅』 (1979年19分) 物語:摂津の国、生田の里。都へ上る道すがら僧がこのあたりに「求め塚」というのがあると聞きつけ、その場所はどこかと聞く。仏法を尊ぶ美しい女が、二人の男に同時に求婚され、決められないまま困り果て自ら命を絶ち、地獄に落ちる悲劇。 解説:ナレーションは観世静夫。これも日本美を感じさせる物語と演出。 『セルフポートレート』 (1988年1分) 解説:世界5カ国の人形アニメーション作家たちの肖像、川本喜八郎版。ほかに手塚治虫ヤン・シュヴァンクマイエルも参加していたという。 『不射之射』 (1988年25分) 物語:舞台は中国戦国の世。天下第一の弓矢の名手になることを願う紀昌(キショウ)という青年。彼は飛衛(ヒエイ)という達人に弟子になりたいと訪れるのだが、「まずどんなことがあっても瞬きをしないようにすることだ。」と弟子になることを認めない。紀昌は数年後、夜でも瞬きをしないほどに特訓を積み再び飛衛の元へ。しかし今度は「小さなものを大きく見るよう目を鍛えなさい。」と言う。再び数年の特訓を積む紀昌。三度、飛衛の弟子に願い出てようやく認められる。 弟子になり、射術を磨く紀昌は飛衛と肩を並べるになるまでに成長した。しかし紀昌は天下第一の弓の名手になれないことを不服とし、飛衛と決闘をする。決着がつかないまま、飛衛と紀昌はお互いの弓の技を認め合うまでに戦う。矢がつきた頃、飛衛から「これ以上の射を見極めたいのなら、峨眉山にいる甘蠅(カンヨウ)老師の所に行きなさい。老師からみれば我々の技など子供のようなものだ。」と言う。紀昌はその甘蠅老師の所へ。 解説:ナレーションは橋爪功。「技術の積み重ねとは?」を説いた人生論のような趣きある作品。 「真の行いとはなすことなく、真の言葉はゆうことなく、真の弓とは射ることなし。」 『いばら姫またはねむり姫』 (1990年22分) 物語:古城の妃は身上を語る。誕生祝のパーティーの席で謎の黒いマントの男を見て、母は卒倒する。母は父と結婚する前にある男性と関係を持っていた。しかし男は戦争に駆り出され、生死不明に。黒いマントの男は不明の男だったのだ。 解説:原作・ナレーションとも岸田今日子さん。とにかくナレーションがうまい。制作はチェコアニメでお馴染みのトルンカスタジオ(ペガサスのマークの)。中世ヨーロッパ風の世界感が素晴らしい。人形の顔も国によってデフォルメされているようだ。