寂しい帰郷

亡くなった友人の家に葉書を出した。

親しかった高校時代の友人二人に連絡を取って、亡くなった友人に会いに行きたい趣旨を書いた。いつ頃がよいかというのはあいまいに三月とふってあったのだが、いつ頃がいいのかと友人らと一緒に集まって話をしようということになった。

亡くなった友人の家は私の家からも近いが、彼の墓が実家から見える位置にあるというので、実家に帰省後、すぐにその墓の場所に向かった。

墓石の横に真新しい墓誌があって、そこにはすでに友人の名も書いてあった。そこで初めて亡くなった日がわかった。

墓石は先祖代々の墓らしく年月が経っているようだが、よく手入れが行き届いてあり、活けてあった花もまだ真新しかった。ラッキーストライクと缶ビールが供えてあった。寒風吹きすさぶ田畑に囲まれた小さな墓地だった。

7年ぶりの再会が墓前という最悪の場面である。実家が近いので小さな頃からお互い仲良くやっていたのに、就職後は会う機会が減ってしまっていた。私が帰省中ならいつでも会える環境だったのに、これが親しい仲だった友人との再会か?と思ったが、顔が見えなくても再会なのだ。彼の名前の入った墓誌でようやく彼の死を感じる。でも顔が見えないと死んでいるとは思えない。

午後から友人A君の家で三人が集まった。高校卒業以来会ってなかったもう一人の友人B君とは9年ぶりの再会だった。まずは友人の死の知らせを母から聞いた話から始まり、葉書を出したことと、高校時代の話が弾む。とにかくは訪問日はいつ頃がよいかを話して、葉書にはこちらから連絡すると書いてあったので亡くなった彼の実家に電話をして予定を組むという算段になった。少し緊張して私が代表して電話をした。

家族葬で亡くなったのを公表していないままなので、突然の私からの電話は驚いた様子だったが葉書を出していたのが功を奏したのか、名前を覚えてくれていて、すんなりと訪問日を決める事ができた。電話に出たのは亡くなった彼の父親だった。母親のことが気がかりだが仏壇でも彼に会えることができそうだ。

最後に彼の墓を友人二人に案内した。墓誌に名前があるので確かに亡くなっている。線香をあげて三人で交代して手を合わせた。後日また再会しようと別れた。