訪問

訪問日の前日に亡くなった友人宅に電話をした。訪問時間と車で訪問するので駐車は大丈夫かを言う為だったが、今回は彼の祖母が出てくれた。ほか親族は仕事でいないので日曜なら大丈夫とのことだった。亡くなった孫も喜んでくれると言ってくれたが、言葉の裏に悲哀が感じてならなかった。

その後花屋に連絡をし、仏壇用の花を一対注文した。仏壇用の花は色を入れてもよいかなど色々とあるようだったが葬式ではないので、値段の上限を言ってお店にお任せした。花だけではいけないかと線香も買って包んでもらい、訪問の準備をした。

事前に色々決めていたので訪問日はスムーズに事が進んだ。午後、友人宅に集合して3人で少し話をして車に乗ってまずは花屋へ行って花を受け取る。黄砂が混じる雨であいにくの天気だったが予定時間調度に到着した。

ドアチャイムを押して出迎えてくれたのは彼の母親だった。亡くなった友人とは家が近いこともあってよく遊びにいっていたので彼の母親とも面識があり、彼の母親も私のことを覚えてくれていた。さっそく仏壇がある部屋に案内してくれた。先祖代々の立派な仏壇の隣に彼の顔が入った写真と携帯電話が飾られてあった。

さっそくロウソクに火をともしてくれて、線香も差して順番に手を合わせる。花と線香を差し上げ、涙ぐむ彼の母親を見るのはとても辛い場面だった。

コーヒーにケーキも出されてとても気を使ってくれる。

まずは実家の母親から彼の死を知り、高校時代の友人らに連絡を取って彼の死を悼んで訪問したいと計画し、葉書を出した事、お線香でもあげたいと訪問に至った経緯を言う。

あまり面識のなかった友人2人を紹介し、高校時代の話や彼の人柄や近況を話した。亡くなった友人は車が好きで高校卒業後、自動車整備の専門学校で2年間は松山に行った事。就職してスバルの自動車整備の職を持っていたが、仕事の不平や人間関係で悩んだり、休日が水曜だけなので辛いなど色々話してくれた。最近は山登りに興味を持ってブーツや装備を買ったりしていたようだ。彼の携帯に保存されていた画像をプリントしてアルバムにまとめていた。近況の彼の顔写真があまりないのでそれが辛いとまた話してくれた。

彼の家は元々農家で農具などを入れておく離れがあり、そこを改築して彼の部屋として使っていた。彼は11月に仕事の後で酒を大量に飲んで急性アルコール中毒で意識を失いそこで倒れた。朝、起しに来た母親が発見、すぐに救急車が呼ばれ、蘇生が試みられたが一度脈は戻ったもののそのまま急死してしまった。母親は彼の出勤前に弁当を作っていた後だったという。

余りに辛いことだったので近所の人には知らせず、近親者と職場の人たちだけで密かに葬儀が行われたそうだ。

高校の卒業アルバムを出してくれて話が弾む。中学の友人が数人訃報を聞いてすでに訪問していた事も話してくれた。実家の母に知らせが届いたのは少し遅かった様子。

1時間半ほど話してそろそろとおいとまとした。死んだ友人もどこかで見ているでしょうと励まして。車で出るギリギリまで送り出してもらった。友人が死んだ後ではこの家に訪問する事もないだろうと思う。友人と一緒に遊びにいくこともできなくなってしまった。

訪問後、近いこともあって私の家で短いながらも反省会をした。うちの母も同席したが友人二人と私にもしっかり生きていかないといけないと話してくれた。

私が思ったのはやはり人は一人ではないということだった。「人は生まれながらに孤独」という言葉を発した人もいたが、生まれてから一人で生きていけるわけでもないし、人は人と接して成長していく。人の存在の大きさはそれぞれだと思うが、幼馴染が死んでより一層感傷的になってしまった。死んで悲しんでいる人がいるなら一人ではないということ。

最後に友人2人と別れた。また再会できることを約束して。