ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ、ラビハウズ他
中断していたウズベキスタン旅行記を再開します。もう一年以上前だというのに旅行記の半分も終わっていない!
仕事がむちゃくちゃ忙しかったこともありますが、フィルムスキャンに時間がかかったことの他に、ウズベキスタン旅行に行った後で観光した場所を調べ直すことに時間がとられたこともあります。それぐらいウズベキスタン旅行はマイナーです。しかし風土、歴史遺産等、美しいことは言うまでもなく、中央アジア、シルクロードの遠い大陸を感じたいならお勧めです。
ブハラは宗教的歴史遺産も数多くあり、メドレセの奥にもう一つメドレセがあるという密集地域があります。写真を元に立地場所、外観を確認してようやく画像を順番に載せるだけでも時間がかかってしまいます。
少し移動してラビハウズの周辺を散策。写真はナディール・ディヴァンベキ・ハナカ。ハナカは巡礼宿、1619年に建てられた。ナディール・ディヴァンベキとはブハラ・ハーン国の大臣の名前でこの地の整備に一役買った人物だったようだ。ラビハウズもこのナディール・ディヴァンベキがつくったそうです。
ハウズは四角く石で囲んだ池のこと、巡礼者の旅の疲れを癒した。ラクダの彫刻があるのは当時の面影を残したもの。
歴史的遺産のすぐ隣でバルーンの遊具で遊ぶ子供たち。旅行当時は6月でもウズベキスタン国内の学校の夏休みは長く、6月から9月の3ヶ月間もある。
ホジャさん乗るロバの銅像に子供を乗せる母。ナスレッディン・ホジャはイスラムでいう一休さんのような存在だが、実在説、否定説、出生、いつの時代の人かも伝説と小話が独り歩きして定かではありません。ティムールとのやりとりが有名なのですがトルコではトルコ人、ウズベクではウズベク人と言われている。共通していることはロバを愛し、旅の道中、問題をとんちでユーモアに解決するという形。なによりロバに乗っているのが愛嬌がある。
ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ。メドレセ(イスラム神学校)なのに門の上、両端に鳳凰が白い鹿をつかんで太陽へ昇ろうとしている装飾がある。これは偶像崇拝なのでもちろんイスラム世界ではご法度。なのにこのメドレセを作った大臣ナディール・以下略が「これはキャラバン・サライ(隊商宿)なので偶像を描いてもよいのだ。」と言ったが、いざ完成してみると「これはキャラバン・サライではない。メドレセだ。」と言ってメドレセにされたとか。なんとも宗教的に緩い感覚だったんだなと当時の大臣はそう決めたそうです。よかったのか?本当に。21世紀はモスクさえ破壊する原理主義だってあるのに。
中はお土産屋とレストランに改築されてある
この建物北側にすぐクカルダシュ・メドレセがあるんですけどね。。
中の様子。陽も傾いた夕方頃。夕食の準備がされていた。
こちらがクカルダシュ・メドレセ。16世紀の大臣クカルダシュが作ったメドレセ。タシケントにもあるので当時の大臣の名声がうかがえる。ナディール大臣はこれに対抗したかったのかほんとにすぐ近くにあるのだ。