グリ・アミール廟

ウズベク4 (78).jpg サマルカンドのランドマークといえばレギスタン広場とここ、グリ・アミール廟。ティムール一族が眠る。1403年に最愛の孫ムハンマド・スルタンを亡くしたのを機に建築を開始。ティムール自身は故郷のシャフリサーブスのアクサライ宮殿近くに墓の建築を進めていたようですが、1405年に中国の軍事遠征中に亡くなると、冬の雪でシャフリサーブスへの道が閉ざされたので仕方なくここに埋葬されたとのこと。 ウズベク4 (79).jpg ウズベク4 (80).jpg ウズベク4 (81).jpg ウズベク4 (82).jpg ウズベク4 (85).jpg ウズベク4 (86).jpg ウズベク4 (87).jpg ウズベク4 (90).jpg ウズベク4 (91).jpg 真ん中をティムールの棺にして正確に東西南北に棺を置いている。 ウズベク4 (92).jpg ウズベク4 (96).jpg ウズベク4 (100).jpg 装飾は全て金。実は何度も盗難の被害があったようですが1996年の修復の際には3kgの金が使われたとのこと。 ウズベク4 (93).jpg ウズベク4 (97).jpg ウズベク4 (98).jpg ティムールの棺を中心にして 北側:ティムールの師のミルサイード・スルタン、孫の一人 南側:ウルグ・ベク(孫) 東側:ムハンマド・スルタン(孫) 西側:シャー・ルフ(息子)、ミランシャー(息子)、孫の一人 だそうです。 実際に棺の中にはティムールの遺体はなく、この地下3メートルの所に遺体が安置されているそうです。裏口から入る所があるそうですが一般公開は禁止。 1941年6月22日にソ連の考古学者がティムールの棺を開けて調べたところ、ティムールの右手左足が不自由だったことが確認されました。棺の裏には 『私がこの墓から出た時には大きな災いが起こるだろう。』 と書いてあったそうです。その数分後、ドイツ軍がソ連に侵攻を開始したニュースが飛び込んできたという嘘みたいな話があるそうです。4年の戦争の後、ソ連軍はドイツ軍を撃退しますが1500万~2000万の死者を出すことになります。恐れを感じてティムールの棺の蓋は二度と開けられないように溶接されてあるそうです。 ティムールの征服戦争(中央アジアペルシャトルキスタンイラク、シリア、南ロシア、インド)の死亡者数は推定2000万人ということですがモンゴル帝国再建の野望を抱いたティムールはここに眠っている。 ウズベク4 (105).jpg ウズベク4 (83).jpg ウズベク4 (88).jpg