母と姉と僕。箸蔵街道を歩く③

箸蔵街道はどこまでも続く。
写真に撮るのを忘れていたけど、時々石碑があって「~丁」と書かれている。一丁は約109メートル。
ゴールは100丁あるんだそうだ。


見晴らしのいい場所から元来た場所の方向を指す母。




道中。

そして「馬除」に到着。馬除の地名は方々にもあるらしく、馬をつないでおく場所があったのが由来らしい。
この集落でも最近まで炭焼きをしていた人が住んでいたようだ。






ずいぶん歩きましたがここで約半分。

そして二軒茶屋。100年前にはちゃんとお茶屋と宿も営業していたようだ。今も二件の廃屋がある。

二軒茶屋の写真が少ない。

ここで休憩。

『峠の石地蔵狸』伝説の看板がありました。写真は見えにくいですが、大体こんな内容です。

讃岐の国から阿波の国の親戚の所へ、遊びに行った作蔵という人がいました。御馳走になり、遅くまでいたのでもう帰ろうと、その親戚の家を出たのですが、後ろから別れたばかりの親戚の姿が。
「そう早く帰らなくてもよいじゃないか。風呂にでも入ってゆっくりしていきなよ。」という。
わざわざここまで呼び止めに来てくれたのかと思い、作蔵は快く引き返した。早速風呂に入り、親戚は背中まで流してくれた。今度は変わりに親戚の背中を流す作蔵なのだが、背中をいくら擦っても返事が来ない。ふと後ろから呼び止める声がした時には、夜は明けて、あたりが明るくなっていた。
呼び止めたのは炭焼きで、作蔵は地蔵の背中を一生懸命磨いていたという。ここに住む狸の仕業じゃろうという話じゃ。


香川県側です。雪の影はない。


帰りの田舎風景。殺風景だがとても落ち着く。

そして土讃線讃岐財田駅に帰ってきました。ああ疲れた。
帰りは温泉に入りました。

姉はその夜、東京へ帰っていきました。

道中はとても寒かったけど、古(いにしえ)の街道を歩くことで少しでも時代を感じることができた。
道はどこまでも続くよ。箸蔵街道の旅でした。