ナヴォイ・オペラ劇場
日本人にとってタシケント観光で有名なナヴォイ・オペラ劇場。
終戦後、大陸からソ連軍に抑留された日本人達はソ連領内に散らばり、そこで強制労働としてインフラ工事などに従事した。ここウズベキスタン、タシケントに運ばれた日本人抑留者たちはナヴォイ劇場建築の労働を課せられる。劣悪な労働、環境で病に倒れ、日本の土地を見ることなく亡くなった方も多い。しかし劇場建築の際には妥協のない姿勢で労働に取り組み、細かな彫刻、装飾などを施した。
建築中に現地ウズベク人との交流もあったそうなのですがここでは省きます。
日本人が作ったというナヴォイ劇場。水を差すようですが、全て日本人が作ったのか?とはいかないようです。
終戦が1945年8月。
降伏調印後、捕虜となった人たちの移動もあって現地に着いたのは10月から11月頃。
完成は47年。11月に公開されてあるので完成は早くとも8月~10月頃。
日本人が携わったのが約2年の間。ものすごいスピードです。中には元大工や工兵などもいたようですが1945年当時、物資も資材も不足がちのソ連領内で、海外の建築様式、彫刻の技術や装飾の模様も知らなかったであろう日本人に、そんなに早く工事ができたのかと思うと「?」が出てきます。
http://blog.silkroad-j.lomo.jp/?search=%A5%CA%A5%DC%A5%A4
上のブログに詳しい詳細があります。
設計はアレクセイ・シューセフ、ロシア人。装飾は見れなかったのですが、現地ウズベキスタン独特のものと思われ、ウズベク人の指導があったと思います。
1966年のタシケント地震ではこの劇場のほかほとんどの建物が倒壊したそうですが、基礎工事は日本人が関わる前から出来上がっていたというのが本当のようです。
劇場の前は広いスペースに噴水がある公園のよう。向かって左にアイスクリーム屋があります。
残念ながら訪れた時は外観の改修工事中。
訪れた当時はものすごく暑かった。
若干ですが装飾が見えた。
工事現場を区切るトタンの上から手を伸ばして撮影。石階段があるはずですが、ノッペリしてます。ここは日本人の手によるものだったと思いますが改修工事の為、少し手を加えられたようです。
ナヴォイ劇場の前。